自己紹介・政策

 

  • 1972年7月7日

出身地 稲沢市

  • 資格

自動車・自動2輪・2級ボート・玉掛・フォークリフト・職長トレーナー・お茶・お花・フラワーアレンジメント・ジュニア野菜ソムリエ・アロマ検定3級・珠算2級・シンプルパフォーマンスセラピー・コーチング

  • 趣味

読書・料理・里山・ゴルフ・カラオケ・占い・スノーボード

  • 好きな言葉

一隅を照らす・明日は明日の風が吹く

  • 長所

どんなことも楽しめる。前のめり

  • 短所

感情の切り替えが遅いことがある。せっかち

  • 学歴

稲沢市立下津小学校卒業

稲沢市立次郎丸中学校卒業

愛知県立一宮南高校卒業

名古屋女子文化短期大学(NFCC)卒業

慶應義塾大学通信制法学部乙(政治学科)

 

  • 経歴

2011年

高浜青年会議所理事長

2012年

青年会議所愛知ブロック女子会心愛会初代会長

2013年

高浜市議会議員補欠選挙立候補

 

 

 

 

 

 

エピソード

幼少期

1972年7月7日、愛知県稲沢市に生まれる。

・小さい頃から本が好きで、ご飯も忘れるくらいでした。

・母親が保育士で、その同僚に囲まれていた保育園時代。良いことも悪いこともすぐに親の耳に入る環境でした。

・縄跳びや鉄棒が苦手でやりたくないのに、親に無理やりやらせられた。そのお蔭もあってか、苦手なものでもとりあえず、手につくまではできるようになっている。実はパソコンとかも苦手だった。昔はワープロだったけど。

・田んぼが周りにある環境で、冬の田んぼは遊び場として最高だった。稲を刈った後の稲の塊を踏んで遊んだ。家の陰で日陰になっている田んぼは冬には凍って厚い氷ができるので、スケートといって普通の靴で滑って遊んだ。夏の田んぼも風が涼しくて好きだったなぁ。夜はカエルの大合唱を子守歌にしていました。

小学校時代

・運動が嫌いなのは小学校時代も。ドッジボールは逃げるのが専門。

・小学校4年生になると、小学校のクラブのブラスバンドに入りました。本当はバトントワリングのクラブに入りたかったのだけれど、親に言える雰囲気ではありませんでした。その代わり、親に金ぴかのトランペットを買ってもらい、トランペットを吹くことになりました。背が小さい頃から高かったので、ブラスバンドでは背の高い人から前に並び、一番前でした。先生にいつも「音は出さなくていいからとにかくラッパを地面と水平に持ちなさい!」といつも叱られていました。それが、校内放送で話すので、家に帰ると「今日も注意されていたね。」と祖母に言われていました。で、トランペットは一年やったけど、吹くことができません。吹かないのに、トランペットもって行進するだけなんて、良く一年もやり続けたなぁと今なら思います。5年生になり、妹が私のトランペットを使うことになり、私はユーフォニウムを担当することになりました。ユーフォニウムはちゃんと吹くことができました。少人数でチームを組んで音楽会に出たこともあります。金賞は取れなくて、銀賞でした。

・勉強はできなくはないけどすごく良くできるというほどでもなかったです。

・お稽古事も毎日スケジュールが詰まっていました。ピアノに、そろばん、お習字に、お茶お花。中でも大人に混じって習うお茶お花が大好きでした。お茶が松尾流でお花が松月堂古流です。

・5年生の時の冬、近所で朝学校に行く前にマラソンを始めよう!となり、最初10人くらいいたのだけれど、一週間たち、二週間たち、だんだん人が減っていく中、なぜか、私だけ最後まで残ってしまい、卒業するまで毎日走りました。毎日走るうちにだんだん呼吸が乱れなくなり、早く走れるようになっていき、うれしかったのを覚えています。

 

中学校時代

・中学は自転車通学でした。セーラー服で、赤いリボンでした。襟が白で赤いリボンの衿でした。テニス部に入り、あまりの運動量に膝に水が溜まり、入部すぐに見学をすることになりました。校則もゆるくて楽しい中学生活でした。嫌いな先生がいて、徹底的に反抗していました。今思うとかわいげのない生徒でした。

高校時代

・高校は校内の部活にも入りましたが、すぐに帰宅部になり(通称サイクリング部で、高校も自転車通学でした)校則が厳しく、今では考えられないけど、そのころは前髪チェックとかあって、違反すると先生に髪を切られたりしました。まぁ、その時だけピンでとめればよいとわかってからは、そんなことなくなりました。でも、その厳しさに、高校があまり好きではなくて、やめたかったし、心は別のところにあるような生徒でした。

・学校外にも友達をつくり、自分の世界が広がっていきました。特に好きなミュージシャンの追っかけをしている人達と仲良くなり、追っかけの真似事をしていました。ちなみに、TMネットワークとかB‘zです。B‘zの一番最初のコンサートにも行きました。懐かしいな。

大学時代

・短大に進学しました。家政科でした。料理の実習や裁縫でスカートを作ったりしました。中でも印象的だったのが、母乳マッサージで、先生がまじめな顔して胸をマッサージするのですが、まだ、10代最後の私には必要なく、母乳育児してからその重要性が理解でしました。

・バブリの残りかけの時期で、バイト先はDCブランドのお洋服屋さん。たまたま、お茶でご一緒だったお姉さんのご紹介でした。バイトは楽しかったです。今でも布を触ると素材が何でできているのかわかります。そして、そんなことが気になります。

・交換留学生制度を利用してオレゴン州のポートランドに3か月ホームステイをしながら現地のコミュニティカレッジに通いました。ホームステイ先のママがとてもお料理上手で、チキンの丸ごと焼いたのとか、レモンパイとか教えてくれました。この体験が今の私のお料理の基礎にあるかも。勉強はほとんどしませんでした。今でも大学生しているのは、このころのツケが回っています。

・このころ、ワープロ検定を受けたり、保険の資格を取ったり、いまの資格オタクの素地ができました。

社会人時代

・画廊に努めたものの半年でやめて、親の会社に就職。一緒に働くのは良くないと、営業所をだしてもらいました。そこで販売していたのが、屋根の積算ソフトです。ここで初めて高浜との接点が。高浜市は瓦の製造シェアが日本一。で、和瓦で屋根を葺くときに、部位が30か所くらいあり、計算が大変だというので、コンピューターで計算するソフトを販売するのが仕事でした。販売も導入のための指導でインストラクターとして導入先の会社にお邪魔して指導するのが仕事です。その仕事をするのをきっかけに高浜青年会議所に入会。

・友人が乗ってるオートバイ、どうしても乗りたくなって、免許を取りに行き、オートバイも買ってみました。ただ、私にはあまり合わないと思い、1000キロも乗らずに売ってしまいました。今でもライダーには憧れています。

・縁あり、高浜市在住の夫と結婚することになり、結婚。婚家はブロックを製造する会社を経営しています。

・子どもを3人授かり、子育て。慣れない土地の子育ては大変でした。何が大変かというと、赤ちゃんと二人きりでしゃべる相手もいない。孤独感でいっぱいでした。友達をとにかく作らなくては!と、第1子の3か月検診の時にママ友をナンパしました。子どもが成長するのと共に、児童館に行ったり、だんだんとママ友も増えていきました。子どもが成長しても夫は相変わらず忙しく、ほぼワンオペで子育てしていました。

・7か国語を話そう!というヒッポファミリークラブに入会。ここでは、様々なメンバーや様々な国の方との交流をしました。ホームステイで受け入れした方は10人以上、様々な国の方々がいます。韓国、中国、台湾、マレーシア、ロシア、ハンガリーなどなど。上二人の子どもたちもロシア、韓国、マレーシア、タイなどホームステイも経験しています。残念ながら、私が忙しくなってしまい、退会。

・高浜青年会議所の先輩が市長に就任。市の仕分け人となる大役を担う。ちょうど政権交代があり、蓮舫さんが、仕分けをし、話題に上ったころでした。高浜市は地方自治体の中でもいち早く仕分け事業に着手しています。その時、観光協会について発言したことが、今でも話題に上ります。その後、総合計画を市民と共に作る会議に参加。今振り返ると、政治家のレールを引いてもらえた気がします。そこで、市民会議に参加する中で、教育基本構想を作るなどの、様々な計画を作るのにボランティアとして会議に参加させていただきました。

・2011年3月11日東日本大震災が発災。青年会議所では、時の理事長をしていました。青年会議所歴は途中退会でブランクがあったものの、阪神大震災、ナカトホ号の救助等、ボランティア経験があったものの、国がひっくり変えるかと思うような大惨事に心が痛みました。そして、青年会議所メンバーの反対を押し切って決まっていた例会を募金例会にして、今やれることをやろう!と必死でした。その後、経済を回すことが被災地のためだ!と懇親会付きの例会も開催しました。その年、青年会議所で毎年開催する全国大会が、たまたま名古屋で開催することに決まっており、被災地のメンバーが半分亡くなったような地域の方々でも、お礼にと駆けつけてくれていたのが印象的です。その時、全国理事長会をしようと出席し、いろんな地域でこんなに頑張っている人たちがいるのだと衝撃を受けました。

・2012年高浜市で映画「タカハマ物語」を作ることになりたまたま参加者の順番を整理するためのボランティアに参加しており、先輩にせっかくだからオーディションを受けていけと言われたのをきっかけにオーディションに参加。みごと市長役を射止める。本当は、オーディションの時、周りが結構ガチな演劇関係者で若い子ばかりでめっちゃ焦っていました。遊び半分で申し訳なく思ったくらいです。

・2013年高浜市議会議員補欠選挙に立候補。右も左もわからない選挙で、いろんな方々に応援いただきましたが、落選。

・2015年高浜市議会議員選挙当選。2013年の落選をきっかけに、女性目線でできることは何かないかと探して、タンスに眠っている着物を集めバザーを開き、東日本大震災で被災にあった子どもたちに「あしなが育英会」通して寄付。この活動は不定期ですが、今も続けています。そして、落選をきっかけにいろんな方に応援していただき、一度は期待に応えたいと再び立候補することができました。議員になり、「子どものために、女性のために、高齢者のために、地域のために」と4つのあなたのために~を掲げて活動しています。

・2019年高浜市議会議員2期目当選。1期させていただいて、もっと市民目線で市民を応援できることをしていきたいと活動しています。